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最後のところ

結局のところ、最後のところ。

在日を問題にすることは、さほど大きな物語になるとも思えないし、再構築などと簡単に言っちゃうことに、吐き気も感じる。

なにが出来るか、在日で何を出来るかを、在日に向かっていること、ある集合体にむかうこと自体がナンセンスかもしれない。

他人を変えることが出来ないのが、正直なところ。成功を望む若者である私だが、他人を変えるということに自らの夢や成功とは話が違うことも感じる。

在日で生きようが、アメリカ人で生きようが、野球で世界一のバッターになりたいという夢があるのならば、結局のところ帰化するのは当然と言えば当然。

なんで帰化するんだよ。という、言い方はよく例で言われているけど、同じ集合体、同じものとして共有することが、そもそも気持ち悪いのかもしれない。勿論、ある集合体がスポーツ刈りしかダメというルールのなか、思春期の男の子はアシメに切りたいわけだし、染めたりもしたいもの。それなのに、同じものとして扱うことは、ナンセンスだ。

しかし、ここで重要なのは

こんなZAINICIARTとか言っているけど、私は私の周りの仲間意識がある方々と遊んだりするし、じゃあ、その集まりを簡単に言うと、在日になるんです。くらいでやっていますね。これが、結構、在日を使うとか在日をむやみに出すなと言われますが、差別意識なんて、21才の生活レベルで実感するはずないじゃん。ってこと。

歴史を知れ!と言われ、

在日をネタに、北朝鮮をネタに作品を作って、売れると勘違いしていて、

歴史を知って、きちんと文脈に基づいて作れ!そして、売れ!って言われている感覚もあったりする。

小学生の終わりや、中学生の終わりや、高校生の終わりに、在日を皆に知ってもらおう!ってなことを夢見る友達が多かったが、結局のところ知らせること自体はそんなにも物語を動かすことでないし、在日の有名人が出るのがいいのか、有名人が在日を隠していることなんて、なんの問題もないのに、在日は「あいつも在日、あの子も在日」って言うんですね。

結局どこにいくのでしょう。

朝鮮大学の友人らは、在日をメインに生きようとしているが、個人の生活レベルでしか動いていないのにもかかわらず、在日がらみということで正義や郷愁があるのかも知れないが、同じバッググラウンドでも他者は他者。おかしな話だ。

在日の夢が南北の統一だと言われている現在ですが、

サッカーで世界一のフォワードが夢の子になんて言うんだろう。

まぁ、現在ではほとんど言われないし、なにも問題ないだろうけど。

個人の夢を、ある集合体の夢の中の小さな物語と考えるかは自由だけど、

私は、個人の夢だなぁ~。

Nam HyoJun

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